50周年記念事業
座談会「団地創設の経緯から初期当時のエピソード」
オリンピック特需による好景気で生産量が増えた事、製品の大型化などで、都内の工場では手狭になった企業が多かった事、部材調達の効率化などを理由に、皆で工業団地を作ることに決定されたようだ。 次に、団地の候補地として、数ある候補の中から、何故に総和村(町を経て 現古河市)を選択されたのか、その過程を振り返っていただく事にした。 |
宇賀神(清) | いずれにしても、東京都内でやっているのは無理があると。だから、1社で出ていくのは大変だから、全員で固まってどこかに行こうという話になったようですね。 では、なぜ総和村だったのでしょうか。『私の50年』によると、特別なきっかけというか、思いがあったわけではなく、自治体がたまたま工場誘致をしていた中に、あまたある中でも総和村があり、その中で土地が一番安いことと、東京との距離感と交通機関を検討したら、そこがいいだろうというふうになったようですが、実際のところはどうだったんですか? |
大矢 | 距離的にも遠からず近からずというところで、ちょうどよかったんじゃないでしょうか。 |
宇賀神(清) | 今は便利だけど、当時はまだ不便でしたよね。 |
大矢 | 道なんかもひどかったですよ。でこぼこ道で。 |
宇賀神(正) | 団地が出来た頃はバイパスもないし、国道4号線で、東京から行くのに2時間半ぐらいかかりました。 |
宇賀神(清) | 先程、白川理事長から、幸田初代理事長がこの話を持ってきたと聞いたとのお話がありましたが、幸田さんから「じゃあ、ここがいいか」という話が出たのでしょうか? |
白川 | いや、持ち込まれてからみんなで話し合ったんでしょうね。 |
大矢 | 組合『20年史』には、「昭和36年の6月27日に、樋口社長、白川社長、小倉東配工事務局長が、東京商工会議所へ行って工場適地の相談をした結果、『総和村と三和村はどうか』と、東京商工会議所で言われた」とあります。 |
白川 | 幸田さんが戻ってきたので、東商にまた念押しに行ったんですね。 |
大矢 | それで、この二つが候補に挙がった。 |
坂本 | 三和村のほうが安かったらしいですね。 |
白川 | 半値ぐらいのお話ですね。千円の。 |
大矢 | でも、総和村の方が駅に近いからという事で、決められたんでしょう。 |
宇賀神(正) | あの頃、工業団地が各地にできました。僕らも、2、3カ所団地の見学に行きました。 |
白川 | 静岡の方にも行きましたね。 |
宇賀神(正) | うん、浜松の方だとかね。 |
大矢 | 当時の通産省の局長からも、団地協同組合の組織化の助言をいただいていたようですね。私たちの団地は、第二年度の指定団地で、初年度は全国で10団地ほどだったようで、この辺からも話が来ていたと思います。 |
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