50周年記念事業
座談会「団地創設の経緯から初期当時のエピソード」
創設当時の団地は、東京から多くの人が総和村へ送り込まれたと話があった。配電盤は狭い業界なので、やはり顔見知りも多かったようで、コミュニケーションはとり易かったようだ。それにしても、当時は時代がそうさせたのか、他社の社員同士や社宅での家族的付き合いなど、横のつながりが強かった事が今回のお話で良く伺いしれ、古き良き昭和の時代が垣間見る事ができた。 |
宇賀神(清) | 話は尽きませんが、最後に、若手に希望することや、懸ける思いなどを頂戴できませんか? |
大矢 | この厳しい時代を乗り越えて行くには、会社も変わっていかなくてはいけない。平成7、8年の頃、弊社もすっかり変わったと思います。ところが、横で見ていると、皆様も変わっています。これでいいのでしょうね。 こうして変わることで、どんどん先に伸びていくと思います。中小企業(経営)が日本(人)に大事であると国が考えてくれれば、50年どころか100年先までちゃんといくのではないかと、私は思っていますし、自信もある。皆様も必ずうまくいくと感じているので、それでガッチリと行きたいです。ぜひ100周年まで行きたいと思っています。 |
藤岡 | 今日お集まりの元々のチャーターメンバーは、歴史が古い訳ですから、やはり団地とともに、ますます続けて行きたいですね。団地が100年を迎える、そうすると、150年の企業も出てきます。そして、今の組合員には、業種が違う方も入ってきていますから、その辺も踏まえて、これから少しずつ社会の変化にも合わせた団地運営を考えていかなければいけないと思っています。 |
宇賀神(清) | ありがとうございます。久保田社長は、若手としてこれから率いて行くという立場ですが… |
久保田 | 今年還暦で、若手と言うには語弊がありますが…(笑)。 団地組合は50年経過していますから、それなりに組合の事業も集約化されて、効率的に運営されていると思っていますが、これから少子化の時代を迎え、中小企業にとっては、労働力の確保が非常に大きな問題です。また、団地組合も50年を経過し、老朽化している部分がありますから、10年、20年のスパンの中で、施設や設備をどうしていくかという計画を立てる事も必要だと思います。新しく入られた組合員の方々にも負担をして頂けなければならない訳ですから、きちんと同意を得ながら進めていかなくてはという気がします。 協同組合ですから、協同組合としてのメリットをこれからも生かして、それが個々の組合員の成長・発展につながるような組合活動をこれからもしていきたいと考えています。 |
宇賀神(正) | 50年というと半世紀。その歴史は大変な事です。ここにおられる皆さんは100周年には、まず生きていないだろうけれど(笑)…。 とにかく、そこまで繋げるんだと。この次にと、順繰りに、この団地が永久に独立して、ちゃんとやっていけるようにして頂けたらと思います。 “光陰矢のごとし”と言う通り、振り返ってみればあっという間の50年かもしれませんが、一つ一つの出来事が積み重ねられてここにきたわけだから、やはり50年を迎えるというのは大変な事だと思います。次は100年を目標に、まず60年から始まって、順繰りに頑張って頂きたいと思います。 |
山本 | 最後に白川理事長、お願いします。 |
白川 | 宇賀神(清)社長が今回の50周年記念事業で、若手経営者の方々とコミュニケーションを取って進めています。団地内の若手経営者が今回の事で一つになって事業を進めて頂いているのは、団地運営の上でも将来の大きな財産になると考えています。さらに、外部の力も利用してもらいながら、今後の100周年に向かって、どの様に団地運営をして行くかという事も加えて頂くと、さらに良いスタートが切って頂けるのではと思います。今後とも、是非よろしくお願いします。 |
山本 | 理事長、ありがとうございました。皆様から頂きましたお言葉を大切に、次世代を担う私どもが、団地組合が100周年を迎えられるように頑張っていきますので、皆様には、今後ともご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。 本日はありがとうございました。 |
(了)
<<成長への土台づくり |